デジタルネイティブ 1983
HITACHIパソコンユーザの専門誌
フェイズ■PHASE1983夏号に書いた記事「僕のビッ翔びルーム」

ぼくはキーボード中毒
■キーボードに触れずには、夜も日も暮れぬ、ぼくのコンピューティング生活。キーボード中毒といっていいくらい、ほとんどビョーキのぼくの部屋は大好きなコックピット空間だ。でも、今年もまた気分爽快な夏気分が、右脳を刺激しはじめたから、夏はもうすぐ。水遊びの楽しい季節がやってくる。
好きだからとはいえ、すっかり、コンピュータ漬けになったぼくの脳ミソと身体をリフレッシュさせるのに、夏は絶好の季節だ。うっとおしいツユの間は、部屋の中に閉じこもっているとしても、ツユの晴れ間や天気の良い日には、アウトドアでの生活を選ぶべきなのだ。それがぼくの将来には、一番良いということも、ぼくには良くわかる。しかし、キーボード中毒にかかったぼくは、まだ家の中。CRTやキーボードのあるところから離れることができない。すこしずつ脳ミソになじんできたアキュームレータやレジスタも、マシンがそばにあるから、実感できるのだ。パソコン年齢の高い先輩達のように、紙とスペックだけのコンピューティングの域に達するにはまだまだ修行が必要だ。ハンモックの上で昼寝しながらコンピューティングなんていう仙人のようなことはまだずっと先の話。それまでは、どこにいくにもキーボード持参。ポーキングするにも、キーボードに力をこめてP・O・K・E・・・とやるのがぼくの指先のバイブにはピッタリくる。だから、最高のコンピューティング・スペースは、このコックピット。ここでぼくは、すっかり好きになったクリック音を聞きながら、キーボードの修行をつんでいる。
誰よりも速く、正確に打つことは、ゲームで得点をあげることと同じぐらいに、ぼく達の間では大切なことだ。だから音声認識ができるようになっても、このクセだけは残るだろう。ぼくにとってコンピューティングの楽しさの多くは、キーボードの上でのフィンガー・ダンシングなのだから。
そして、キーボードの上を走る、10本の指は、大好きなデジタル世界に踏み込む、唯一のインターフェース。脳ミソ・バッファにたまった、たくさんのメッセージを転送するただひとつのI/Oなのだ。だから、外には気持ちいい光や風があるというのに、誰よりも早く打ちたいと、ボーレート・アップの修行を続ける。いずれはぼくも、技巧派と呼ばれるその日のために。
チン思黙考。
ぼくのマルチタスク
■好きな時に、好きな場所でやる。コンピューティングも読書も、これが一番のやりかただ。だから、時間割りから解放された夏休みのコンピューティングは、部屋から部屋への移動コンピューティング。台所からお父さんの書斎へと、おやつの場所から涼しい場所へとおもむくままに大移動。時間割りのような、いろんなROMに追い立てられていた毎日から解放されて、今のぼくの脳ミソはオールRAM。やりたいことを24時間のマシンサイクルの中で徹底的にやる。だからテレビを見ながらゲームをしたり、台所のテーブルの上でおやつを食べながらプログラムする、マルチ・タスクの欲望全開の毎日。ベランダや庭先で風鈴を聴きながらキーボードを打つなんて、夏しかできないことだし、不思議といろんなアイデアがうかんでくるものだ。ちがった場所で、ちがった空気を吸いながら、ぼくの移動コンピューティングは半径5メートル。だから、いつかはきっとぼくも、トイレで新聞を読むお父さんのマネをして、チン思黙考。トイレでコンピューティング。ながら族のコンピューティングについて考えてみることになるだろう。
テレビを見ながらごはんを食べ、ハンバーグを食べながら、アイスクリームをなめ、FMを聴きながら宿題をやる。お父さんやお母さんはこういう、ぼく達の生活態度を非難するけれど、マルチタスクの処世術は、ぼく達には絶対不可欠のテクノロジー。おいしい食べ物やおいしそうな飲み物、面白そうなオモチャ、読みたいマンガだらけのぼく達の回りのモノモノに触れてみるには長い休みしかないし、多すぎるから、つい、マルチタスクのながら族になってしまう。新しいインスタント・ラーメンや ドリンクの味くらべも長い休みだからできるのだ。ぼく達のために生まれたたくさんの新製品。テレビで見るだけでなく、これをこなすには、夏休みのような長い休みが必要だ。それに、どんなに時間があっても、たくさんありすぎるから、マルチタスクで処理しなくては間に合わない。ぼくの必殺サイクル・スチールのテクニックを使って、テレビを見ながら、ゲームもこなしてしまう。レベル3のソフトもたくさんふえてきたから、最近はぼくの知らないソフトもいっぱい。どんなに欲しくても、おこづかいや時間割りのサイズの中でおさめなければ、右脳も左脳もだめにしてしまうから、ガマンの知恵をはたらかすけれど、マルチタスクででもこなさなければ、やりきれない。
好きなだけ好きなソフトを組み、友達との情報交換にもタップリ時間をつかえる夏休み。DPレジスタのビョーキ的な使い方や、珍しいスタックのテクニックなど、友達がもってくる情報は、今のぼくには全部がオモシロ情報ばかり。休みが終わるまでには、ぼくも、立派なビット空間の軽業師のテクノロジーを身につけることができるかもしれない。

あこがれのビット軽業師
■至上のコンピューティングは、考えることなのだから、キーボードがなくたって、CRTがなくたってできる。数冊の本とノートを持ってゆけば、キャンプでも林間学校でも、ぼくのコンピューティングは、続けられる。好きな場所で、好きな道具をつかってコンピューティング。ハードがなくても、頭の中のレジスタやメモリだけで、プログラムを作るなんて、ぼくにとっては夢の世界のプログラム作法なのだけれど、アルゴリズムを考えたりするんだったら、ぼくにもできる。だから、ポケコンやハンドヘルドもいいけれど、夏の野外のコンピューティングは、やはり、キーボードから離れるのが一番だ。砂漠のハンモックの上に寝ころんで、脳ミソの処理速度とは正反対のCPUの世界を操ることを考える。考える速度は遅いけれど、いったんプログラムになってしまえば、思うようにCPUを支配してしまうのだから痛快だ。気分は晴天、ぼくのビット空間はキモチ良く晴れわたる。
それにしても、なんとすごいスピードの世界なのだろう。ぼくがこれから夏休みいっぱいかけて作るプログラムも、走り出せば一瞬の処理。ぼくはこのスピードに魅せられている。マシン語プログラミングや、ビット操作の時間はかかるけれど魅力的なこの世界、その作業の遅さと、時間をひき延ばすプログラミング感覚は、カエルの解剖のように、時間の皮を思いきり引き延ばす作業だ。コンピュータの時間とは、まったく無関係に、ぼくの時間ぼくの世界、ぼくの脳ミソ帝国の思考サイクルに合わせて積みあげて、なんとかでき上がるぼくのルーチン。熟語のように、機は熟していないけれど、ぼくの手作りルーチンは、ちゃんとビットをはこんだり、軽業師にもまけないアクロバチックなビット操作をしてくれる。このビット操作の醍醐味を、ぼく達は、いつからかビッ翔び感覚というようになった。英語スクールの先生は、スポーツやジョギングで気持ち良くなることをナチュラル・ハイといい、お酒で気持ちよくなることをアルコール・ハイだといった。じゃあコンピューティングで、キモチ良くなることは何と言うのかときいたら「デジタル・ハイ」だといった。高くなるのは翔ぶ気分だから、ビッ翔び感覚は、ぼく達の素晴らしい流行語になった。
気温、摂氏30度、湿度5パーセント。南の風、風力3。白い百葉箱の中のように、この夏、ぼくの頭は、百パーセントがビッ翔び感覚になりそうだ。
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